「礼拝」パート2 ヨハネによる福音書4:20~24

2021年10月20日「聖書の学びの会」法亢聖親牧師からのメッセージです。

礼拝:パート2  ヨハネによる福音書4章20~24節

「見よ。その日が来る。―主のお告げーその日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。―主のお告げ―彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。―主のお告げーわたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書き記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。―主のお告げーわたしは彼らの咎(とが)を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(エレミヤ31:31~34)
 この神のことば(みことば)が成就しました。あなたは生ける神殿となり、真の礼拝者として神の御霊によってみことばを行っていくのです。これが、冒頭のみことばにある「霊とまことの礼拝者」(ヨハネ4:23)です。

 では、具体的にみことばをどのように行っていくのでしょうか。
「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者(聖書全体の教えの意)です。」(マタイ7:12)つまり、神の教えの中心は「愛」です。自分のしてほしいことを人々にしてあげてほしいという神の願いは、御霊(聖霊)の愛によって自分を愛し、自身を愛するように人々を愛することを実践していくことです。このような状態が生活に現れてくると、争いは極端に少なくなり平和が保たれます。
 例えば、子供たちの社会ではいじめが問題になっています。誰でも、いじめられたいと思う人はいません。そのことを理解するようになると、第一段階として「自分にされたくないことは人にはしないように」と言う」歯止めが利くようになります。そして、「自分にしてほしいことを人にしてあげよう」という、より積極的な次の段階に成長していくのです。このことは、神の愛がその人の内に住まわれている御霊とみことばによって、具体化されてきた好ましい状態です。御霊による愛の行いが、真の礼拝者の歩みになります。
 礼拝とは、宗教的な儀式や形骸化されたものではなく、日常生活の中で「自分にしてほしいことを人々に行っていく」と言うライフスタイルであり、これは神さまに対する善行と施しというささげもの物になります。

「善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのような生贄(いけにえ)を喜ばれるからです。」(へブル13:16)
 たとえば、一つのケーキを二つに切って、子供たちに選ばせたとします。この世の教えであれば、上の子どもが大きいほうを取って食べるでしょう?ところが、神さまの愛の御霊が子どもの心の内におられ、神の国の教えに沿って歩んだとき、なんと弟や妹に大きい方を上げるようになるのです。これが愛の現れです。小さな愛の現れかもしれませんが、非常に貴重な神の国の文化をこの世で現わしています。
 天の父なる神さまは、こうした子供たちの愛の行いを見て、喜んで天からのプレゼントを与えて下さいます。またそれと共に、御霊によって日々天におられる御父と御子への讃美をささげ、安息日の礼拝<キリスト者である私たちの主日礼拝>は神の家族と共におささげ致しましょう。そしてみ言葉への従順というささげ物をもって仕えていくことも必要です。

 「『先生。律法の中で、大切な戒めはどれですか。』そこで、イエスは彼らに言われた。『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これが第1の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第2の戒めも、それと同じように大切です。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」(マタイ22:36~40)
 私たちはキリストに出会うまでは、神さまがいるのかいないのかよくわかりませんでした。ですから、その教えについてもわからなかったのです。しかし、キリストに出会った人は、神さまに出会い、神さまの教えである聖書からすべてを受け取ることが出来るようになりました。神さまの教えの中で一番大切なのは、神さまを愛することです。二番目に大切な教えは、自身を愛し、同様に人々(隣人)を愛することです。これが神の国の文化です。このようにこの世で生きて欲しいと神さまは願い、導いておられます。

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスに会って造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:10) 
 善悪の混同しているこの世界に、神の国を実現し、備えていくためには、神の国の文化を自分の周りに現わしていく必要があります。これが真の礼拝者に求められています。世間に期待するのではなく、自分自身が御霊とみことば(イエスさまの教え)によって神の国を実現していくのです。

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