「岩の上に建てた家」 マタイによる福音書7章24~29節

2021年8月22日深谷教会聖霊降臨節第14主日礼拝
保母光彦牧師説教
讃美歌:21-346

★説教題:「岩の上に建てた家」 マタイによる福音書7章24~29節
★暗誦聖句
・8月23日(月):ヤコブの手紙1章22節●
そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。
・8月24日(火):マタイによる福音書6章33節●
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられる。
・8月25日(水):マタイによる福音書7章24節●
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
・8月26日(木):マタイによる福音書7章16節●
あなたがたは、その実によって彼らを見分けるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。
・8月27日(金):マタイによる福音書7章21~23節●
わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
・8月28日(土):マタイによる福音書7章26~27節●
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。

★説教要約
*目標:人生の土台をどのように築いているかを振り返る。
*主題:みことばを聞いて行う。
*暗誦聖句:「みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません」  (ヤコブ1:22●)

〔岩の上に建てた家〕
 「山上の説教」は二つのことの対比で話が進みます。一つは見える世界、そしてもう一つは見えない世界です。山上の説教の締めくくりに出てくるこのたとえ話も、同じ発想で話が進みます。

1.家、一生もの
 家は見える世界です。それは現実の世界ですが、どうでもいいものではありません。人生をかけて建て、その中に自分の存在と人生を入れます。
 他方、地面から下の部分、土台は見えません。しかし実は、見える部分よりも重要です。どれだけ見える部分、地面から外に出ているところをよくしても、地面の中に埋まって見えない部分がキチンとしていなければ倒れてしまいます。

ちと、寄り道
 〔深谷の特産はネギ、もう一つはレンガが有名です。レンガのお話をしますと、深谷駅はそのレンガで出来ている。赤い東京駅のレンガは深谷産と聞いていました。そのレンガは実は見えないそうです。深谷駅の赤いレンガもそうなのだと、最近知りました。本日のお話は一つは見える世界、もう一つは見えない世界です。山上の説教の締めくくりに出てくるこのたとえ話も、同じ発想で話が進みます。〕
 山上の説教は見えない世界の大切さに焦点を合わせてきました。
そうすると、このように感じるかも知れません。私たちは見える世界をどのように大切にしていけばよいのだろう。人間は生きるために、自分を向上させるために、やはり努力も必要なのではないか。
 山上の説教の最後に家が登場するのはインパクトがあります。家は人生を意味します。その大切な家を何の上に建てているかというのがこのたとえのポイントになります。

2.土台は見えない
 見えない部分は何か特別なことでもなければ見えません。見える部分は同じでも、見えない部分が違っている場合もあります。それが明らかになるときがあります。それは、人生で波が押し寄せたときです。何かで行き詰まって、このままではやれないと思う問題、たとえば、家族の問題、子育ての問題、夫婦、仕事、経済…いろいろです。問題にぶつかると、人生の土台を砂の上に置いてはいけないということに気がつきます。6章33節●「神の国と神の義」は神の見えない世界です。よりどころを見える世界に置くのではなく、見えない世界を大切に生きることが勧められます。ですから「岩」とは、荒波が押し寄せても揺らぐことのない、見えない世界です。

3.建物の部分を建てる
 まず土台を建てる。人生の土台は見える現実にあるのではなく、見えないところにあることがわかるとき、現実に一喜一憂することがなくなります。そうすると、建物の部分を建てることに(外部に見える部分を建てることに)集中していけるようになります。実際に何をしているかといえば、見た目は今までと変わりありません。しかし目の前の現実の問題に取り組みます。イエスを信じているのだから導きでどうにかなると安易にならず、自分の力で家を建てているのではない、と思うと力が抜けます。イエス様と一緒だという生き方をするのです。

4.みことばを行うとは?(大切‼ )
 24節の意味が大切。この意味は、「岩の上を土台」にしているのだから、「人は見えない世界を土台」にしているのだから、つまり見えない世界を大切にする人生観で、その世界を大切にしながら人生を組み立てていくことです。一方律法学者やパリサイ人は律法を守ること、どちらかというと「見える世界に土台を置いて生きる人」です。とおっしゃっておられるのです。
◎イエスがおっしゃった、「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者」(24節●)とは、どのような人? マタイ福音書7章24~29節●  以下の 新共同訳参照
 

 【聖書から】 マタイ福音書7章24~29節  (新共同訳)

      家と土台
7:24「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。25雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。26わたしのこれらの言葉を聞くだけで行はない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。27雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」28イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。29彼らの律法学者のようにではなく権威ある者としてお教えになったからである

   「あざみについて」 
あざみ
 レボナ南方の丘で撮影 (写真省略) 羊の牧草になる。茎高1メートル
・創世記3:18  ・ホセア10:8
・Ⅱ列王14:9 ・イザヤ34:13
・エゼキエル2:6 ・マタイ7:16
 パレスチナ全土に50属200種のとげのある植物があると言われ、どこを歩いても美しい植物も多いかわりに、またとげのある植物も大変多い。特にあざみの中では美しい伝説を持つ(マリヤあざみ)・(ほしあざみ)・(ひれあざみ)等が目立つ。あざみは呪われた地に生じた刑罰的意味を持つ植物であるが、それらのあるものは見て美しく、また食用にして大変美味である。
私たちが過ちを犯した場合、神は刑罰を与えるが、愛なる神はそれに倍する恵をもって災いを益に変えてくださるのである。
 そういう意味で、聖書植物学者として有名なモルデンケは、神に背いたアダムとエバが楽園を追われてエデンの東に住んだ時、最初に生えた、いばらとあざみ、特にそのあざみは、今日西欧において食用として大変珍重されるアーティチョーク(ちょうせんあざみ)ではなかったかと言う。
これは花のつく部分、つまり花托を食用にするもので、大変美味であり、多くの人々に愛好されている。今、イスラエルにおいて特に多いあざみの種類を2つほどあげてみると、前記三種の他、(丸あざみ)・(野生ちょうせんあざみ)等が数えられる。

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