「イスラエルの民の叫びを聞きたもう神」 出エジプト記 3章1~14節

法亢聖親牧師説教

説教題:「イスラエルの民の叫びを聞きたもう神」       出エジプト1章~4章
                 出エジプト2章1節~10節、3章1節~14節

〇 モーセの出生の秘密
「そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川におりて来た。・・王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕えの女をやって取って来させた。開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、・・・その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。『水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。』」(出エジプト2:5~9)
 出エジプト記は、エジプトの国で奴隷状態にあったイスラエルの民がエジプトから脱出する物語です。モーセが生まれる400年も前にヘブライ人である族長ヤコブ(祝福名イスラエル)の子ヨセフがエジプトの国を飢饉から救ったことから、ヤコブの一族は、エジプト国内に寄留することが許されました。そして、モーセが生まれたころには、長い年月のうちに数百万人となっていました。しかも、優秀な民であったイスラエル人の多くは、エジプトの要職につき、財を成していたのです。ヨセフのことを知らない王(ファラオ)は、イスラエル人を恐れ、イスラエルの民の役職と財産すべてを没収し、奴隷にし、重労働を課したのです。それでもイスラエルの民の勢いは、止まらず、ファラオ(王)は、生まれてくる2歳以下の男の子を殺すよう助産師に命じたのです(出エジプト1:15,16)。そのような中モーセは、神さまの不思議なおはからいによって生きることが出来たのです。しかも、ヘブライ(イスラエル)人の男の子を殺すように命じたファラオの王子として・・。
〇 モーセの召命 ―王子の権限でイスラエルの民を救出しようとして失敗したモーセ―
 モーセは、不思議な神さまの御心によりファラオの娘の王女に救われ、もの心ついたころには、王宮で王子の一人として帝王学(国を治める学問)を身に着けることが出来ました。
 ところが、成人した頃のことです。ヘブライ民族の血が騒ぎ、鞭うたれていたヘブライ人の奴隷を助けるため、エジプト人の監督を突き飛ばし、死なせてしまったと聖書には記されています。ですが、推測するに、実際はモーセが王子の権限でイスラエルの民をエジプトから解放しようとしたのだと思います。そうでなければ、ファラオは、自分の息子同様の王子を捕らえて処刑するよう国中におふれを出すはずはないからです。いずれにせよモーセは、王宮を出、エジプトの国から遠く離れたミディアンの地(現在のアラビア半島)まで逃亡したのです。その地でレウエル(エテロ)と言う祭司の娘と出会い結婚をし、羊飼いとして働き、また、祭司である義父から創造主なる神のことを学びつつ日を過ごしていました。その一方、エジプトの国の奴隷状態にあったイスラエルの民への締め付けは激しくなるばかりでした。
〇 イスラエルの民の叫びを聞きたもう神さま       
「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は重労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神は、イスラエルの人々を顧み、御心に止められた。」(出エジプト2:23~25)モーセがエジプトから逃亡して、久しい年月がたったころ、神さまが、奴隷状態にあるイスラエルの人々の「叫び」を聞き、救いの約束を思い起こされたのです。
〇 モーセの召命
ある日、モーセは、シナイ山の山腹で羊を放牧している時、燃える柴の中から神の声を聞きました。それは、エジプトにいるイスラエルの民の叫びを聞かれた神さまが、イスラエル(ヘブライ)人の同胞をエジプトの地(国)からモーセ:お前が救出せよとのご命令でした。モーセは、固辞しましたが、神さまは、「わたしがあなたを遣わすしるしとして、わたしはいつもあなたと共にいる」(出エジプト3:1~10)との約束をされ、具体的にはモーセに奇跡を起こすことができる杖とファラオと交渉する口として雄弁な兄アロンを同行させエジプトに遣わされたのです(出エジプト4:10~17)。
〇 私たちと共にいて下さる神(共に闘ってくださる神)
 神さまは私たちの叫びを必ず聞いてくださるお方であり、神さまは私たちのことを決してお忘れにならない。神さまは私たちのために、行動を起こしてくださるお方であるのです。このことへの信頼が出エジプト記の根底に流れています。
〇 私たちの心を切実にとらえる出エジプトの物語
 大昔に書かれた物語である出エジプト記が今もなお多くの人々の心を打つのは、エジプトで苦難を経験していたイスラエルの人々の状況と今の私たちの状況が重なり合うからではないでしょうか。もちろん、私たちがこの世で奴隷として重労働をかされているという環境状態にはありませんが、それぞれ違った何らかの苦しみ、困難を抱えつつ、懸命に生きているからです。心の重荷につぶされそうになる中、思わず神さまに叫ばずには、おられなくなる、そのような心境になることもあるでしょう。
 この痛みを確かに理解してほしい、という思いを私たちは持っています。しかし、一方で、なかなか周囲に自分の痛み、苦しみを分かってもらえないことも多いものです。自分の苦しみを聞いてもらえない。受け止めてもらえない。また、自分自身、この苦しみをどう受け止めてよいかわからない、ということもあるでしょう。私たちは心の中では激しく叫び声をあげながらも、周囲に対して沈黙するのです。そのような私たちに語りかける物語が、出エジプトの物語です。特に、コロナ禍にあって我慢の限界に達してきている現状の中で、この物語にいちるの望みを託していきたいものです。「神さまは私たちの叫び(祈り)を必ず聞いてくださる。神さまは私たちのことを決してお忘れにならない。神さまは私たちのために行動を起こしてくださるお方である。」と信じて・・・。   

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