そもそも、大正時代の埼玉県深谷町は、1887年(明治16年)に日本国鉄道の駅である深谷駅が開業しましたが、江戸時代から中山道の江戸からの9番目の宿場町であり、レンガ工場(東京駅などの建屋材料として提供するために専用路線が深谷駅まで敷かれた)を除きさしたる産業はなく、後に教会が作られる駅周りには女郎屋が多く、小さな商家のみの、文明開化とは程遠い町でありました。ここで生まれた渋沢栄一も故郷を離れての活躍の道を選びました。しかし、大正デモクラシーの波が全国に拡がり始めると、近代的社会意識や権利意識がこの町にも芽生えだしました。 1916年(大正5年)3月26日に、米国インディアナ州の世界教会宣教団から派遣されたフレッド・アベル宣教師が横浜での3年間寄留後に、深谷町の開拓伝道を開始しました。

フレッド・アベル宣教師

フレッド・アベル宣教師

1919年、相田喜介牧師が主任牧師として招聘されましたが、米国留学をするため辞任し、1920年(大正9年)2月に、本庄教会(現本庄旭教会)の主任牧師(創設者)であった菊地猶之助牧師が招聘され深谷教会の主任牧師(兼務)となりました。秋田で呉服商の家で育った菊地猶之助牧師は、家業も家も捨てて貧しい中、家族七人で牧会・伝道に邁進し始めました。埼玉県北部は、前述の通り、キリスト教が根付かない石地でありましたが、その深谷、本庄の各町で、毎朝6時からの早天祈祷会を行い、日曜学校をいくつも開校し、また、寄居や妻沼町への出張伝道など、精力的に活動をしました。

菊地猶之助牧師

菊地猶之助牧師

1926年(大正15年)4月に西島町に正式の会堂ができましたが、その頃には長男の菊地鉄治牧師と婦人伝道師がお手伝いするようになっていました。菊地鉄治牧師は、東京における賀川豊彦牧師の牧会の支援をしながら深谷教会の伝道にも励みましたが、1942年(昭和17年)に天に召されました。

菊地鉄治牧師

菊地鉄治牧師

戦争が始まる1941年(昭和16年)に深谷教会は日本基督教団に加盟しました。 戦後になって、1963年(昭和38年)に現在地(深谷市西島)に新しく教会堂(旧会堂)を建築完成、献堂式が挙行されました。

旧会堂前での記念撮影(1984年イースター)

旧会堂前での記念撮影(1984年イースター)

菊地鉄治牧師の妻、菊地いうは、4人のお子さんを育てながら永い間小学校の教員として働いて校長になるであろうと考えられておりましたが、教職を投げ打って神の導きに従い夫(鉄治)の伝道の意志を繋ぐべくその途についたのですが、1965年(昭和40年)に、キリスト教精神を軸とした保育を理念に、教会内に白百合学園幼稚科を開園しました。2021年(令和3年)3月に閉園になりましたが、これまでの卒園者は、総勢では2千名を超えるでしょう。受洗者も多数おりますが、その他の方々も有能な卒園者が沢山いますので、日本社会の発展にも貢献していると考えられます。1969年(昭和44年)に、教会学校(日曜学校)が開校され、伊藤愛信兄が校長となりました。 1973年(昭和48年)に54年間の伝道生活を全うして菊地猶之助牧師が92歳で昇天されました(8月)が、その後継として菊地いう牧師が7月に主任牧師となりました。 1985年(昭和60年)に現在の教会堂の献堂式が挙行されましたが、この会堂は深谷教会の信者である小野慶太兄による設計であります。また、1986年(昭和61年)にパイプオルガンが設置されました。

フランス、アルザス・ゲリエ社製パイプオルガン

フランス、アルザス・ゲリエ社製パイプオルガン

1996年(平成8年)8月に菊地いう牧師が天に召され、87年間の信仰の生涯と、23年間の牧師としての宣教・牧会活動を閉じました。

菊地いう牧師

菊地いう牧師

同年の9月、医師でもある保母光彦牧師が主任牧師となりました。深谷教会の一つの特徴として「医療伝道」がありますが、これに至る経緯を少し記述します。菊地猶之助牧師が、当時(大正・昭和初期の時代)に医療から見放された病人の方々が教会に来られ主イエス・キリストのお名前によって祈って頂くと癒されることを体験し、真の癒しは神様によるものだということを確認いたしました。それ故に、「病は神様が癒して下さる、という信仰を持った医者がいて欲しい」という願いから、その妻である菊地タキが助産婦でありましたこともあり、孫にあたる菊地るい子姉が産婦人科医師になり、1957年(昭和32年)に菊地病院を開業して、1966年(昭和41年)に新病院落成式を執り行い初代院長になりました。その義理の甥にあたる保母光彦兄も受洗後に慈恵医大に入学・卒業して、菊地病院の小児科・内科・麻酔科の医師になって、1996年(平成8年)に深谷教会の主任牧師に招聘され、文字通り神様に導かれた「医療伝道」の道を確実に歩んできたことになります。

2011年(平成23年)10月、日本の各地で牧会し続けての後、東京の新生教会主任牧師であった法亢聖親牧師が出身教会(1968年16歳で受洗)である深谷教会に招聘され、現在の二人牧師体制になりました。

2022年(令和4年)8月、保母光彦牧師が約26年間に亙る深谷教会の牧師を隠退されました。

2024年(令和6年)4月、法亢聖親牧師が約13年に亙る深谷教会の牧師を隠退されました。

2024年(令和6年)4月、兵庫県高砂市にある曽根教会より招聘された佐藤嘉哉(さとうよしや)牧師が深谷教会に着任されました。若い牧師でありますから、深谷教会の100年以上にわたる伝統を受け継ぎながら新たなる時代にマッチした教会にされてゆくことでしょう。

深谷教会歴代牧師

  • 初代:フレッド・アベル宣教師(1916~1920) 相田喜介牧師(1917~1920)
  • 2代:菊地猶之助牧師(1920~1973)     菊地鉄治牧師(1926~1942)
  • 3代:菊地いう牧師(1973~1996)
  • 4代:保母光彦牧師(1996~2022)
  • 5代:法亢聖親牧師(2022~2024)
  • 6代:佐藤嘉哉牧師(2024~)
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