こちらにないご質問はお気軽に牧師におたずねください
神さまには、この宇宙、世の中、生命、人間に対して力(物理的なものではないエネルギー)を注ぐことができます。生命は、その力で物質から生まれましたが、それが進化して人類をこんなにまで時間をかけて(永遠なる神様にとっては瞬時)創造されたのです。その人間が罪深いことから逃れそうもないので、その力(この場合は聖霊と呼びます)を使用して、ご自分のみ子として、イエス様を乙女マリアから誕生させたのです。従って、イエス・キリストは肉体が死んでも生き続ける、永遠の命をもった人なのです。
人間の犯した罪を全て赦すためで、それを「罪の贖(あがな)い」と言います。キリストは、神の子ですから、その肉体が死んでも魂は生き続けます。その神様がおられることを人間に知らしめ、その存在を信じさせるためには、神さまは、罪が無くてもイエスを十字架にお架けになり、そうさせた人間たちの罪深さを知らしめ、かつ、それでもその人たちをも赦おうとする、神の深い愛を示すためです。
神さまの恵みを受けられるからです。イエス・キリスト(神様)を信じるだけで、求めるものはすべて与えられます。それが、神の恵みです。
昇天したイエス・キリストが、この世に再臨された所が、初代教会です。そこで、人々はキリストに再会したので、その建物(場所)をキリストの身体として考え、信ずるようになりました。そこには、いつも神の子であり聖霊でもあるキリストがおられるので、毎日曜日に礼拝に行き、牧師を通して、神・キリスト・聖霊との交わりのみ言葉をいただき、感謝して礼拝し、お祈りいたします。神の家族のホームです。
キリスト教では、召天者(ご先祖様の誰をもこう呼びます)を記念して年に一度(仏教のお盆の様に)礼拝を捧げます。キリストを信ずる人は、生前も死後も神の家族としての交わりを持てるので、安心して死んでいけるのです。
正直言って、行ってみなければ分かりません。神様(仏様?菩薩様?)がおられることは確かですから、何らかの社会はあるのでしょう。神様は、今でもこの世に働きかけていますから、何らかの力(エネルギー)をお持ちでしょう・・・その神の力のみで成り立つ世界が天国(極楽?)です。極楽の世界は全く想像できませんが、天国では、人間の中で、永遠の生命(いのち)をいただいた人たちが、神の家族として生活します。イエス・キリストが、天国からこの世に来られた唯一の人であられるのは、この神の力が働いて、神の子=聖霊をこの世にもたらしたからです。
嗜好性からの飲酒、喫煙は何が何でも禁止するわけではないと思います。禁煙は身体によくないことですから慎んだ方が良く、飲酒は飲みすぎないことが肝要です。両方とも、ストレス解消のために飲みすぎる傾向がありますのでご注意ください。キリスト信仰が強まってくると、自由な気分になり、ストレスもなくなるので自然と酒・煙草の必要性がなくなります。
比較宗教学という学問がありますが、それを勉強すると多数の宗教の違いが分かります。例えば、仏教は、輪廻転生から解脱(生まれ変わりのない無の境地になる)するのが本来の姿(小乗仏教)ですが、日本では死後極楽浄土に導いていただける(大乗仏教)、という信仰です。神道は天照大神を日本人のルーツとする信仰です。新宗教(大小百近くある)は、日本人のある個人が神を感じ取り(天啓)、それに共鳴する信仰です。キリスト教は、神のみ子、イエス・キリストが人類を救済するために地上に生まれて、人間の罪を贖(あがな)って(全て背負ってくれて)頂いたこと、その愛・めぐみ・救いに感謝してイエス・キリスト(神の子)を信仰します。人類、という全ての人間を救ってくださる、キリスト教の信仰が一番優れていると思います。
キリスト教の基本は、人間個人の心の持ち方(神とその御子キリスト、聖霊を信仰する心)とその教えに忠実に生きることに尽きます。戦争は、為政者の為せる業で、庶民の宗教心乃至は宗教団体を悪用した結果です。キリスト教信仰者は基本的に戦争遂行には反対します。
悩みはなくても、生きている意味とか、死後の世界はどうなるんだろうか、キリスト教って何だろうか、など漠然とした疑問・自問などがあれば、いつでも教会に来てください。曖昧な疑問や悩み、苦痛などが氷解するでしょう。
そうですね、社会的には憲法でもそう定めていますから、自由に選択して良いと思います。世界には、沢山の宗教がありますが、真に宗教心を持った人は1%もいないと思います。特定の宗教に対して誰もが強い信仰心を持つのは現実ではないように見えます・・・ですから、社会はその選択を個人の自由にするのでしょう。どの宗教に近づくかは、その人の運命的な人や出来事との出逢いだと思います。先ずは、親子、親戚、友人・知人から始まり、特定の場所、メディア、書物などを通してどの宗教に親近感を持つようになるかによって決まると思います。
そうかもしれません。しかし、神はあなたをお創りになった方ですから、あなたの創り主のお気持ちを知らずに生きてゆくことは、何らかの支障が出てくると思います。でも、支障が出てきてからでも、あなたが求めれば神様は救ってくださいます。